家族と野球と視覚障害

どうせするなら楽しむ努力を

感謝

もしも来世があるとして、

視覚障害のない目で生まれるか、同じ家族のもとで生まれるか、どちらがいいと問われたら迷わず後者を選びます。

 

それだけ私にとって家族は大きい存在です。生まれてすぐに目の異常がわかった私は、生後2日で転院することになったそうです。

 

「ママはついていけないから心配で熱が出ちゃってね」

涙ぐむわけではなく、母は当時を振り返っていました。あ、ママのところはスルーしてくださいね。

 

実はこの話を聞いたのはつい最近。

娘が生まれた後の事だったんです。

 

生い立ちの話は0歳から1歳までの間に11回手術をしたとか、1歳半まで歩けずに心配だったとか、沢山聞かされていたのですがこの話だけこのタイミング。

 

なんてずるい手法でしょうか。

曲がりなりにも親になっていたからこそこみ上げるものがありました。

 

本当に大きい愛に包まれて育ってきたんだなぁと実感します。

おそらくこの先どんなに母へ感謝を伝えても、私が満足することはないでしょう。こっそりブログを見てくれたらいいのに‥

 

 

そんな母と仲睦まじい我が父は、 1人になったら何もできないタイプの人です。自他共に胸を張って認めています。

誰かが決めた価値基準によると、スキルの面でも収入の面でも、父は負け組に入るでしょう。しかし「それがどうした」と言わんばかりに堂々と楽しそうに生きています。

そのおおらかさと振る舞いが、私達に余裕を与えてくれました。

まさに家族のムードメーカー。なくてはならない存在です。

 

 

最後に兄は、私の障害を誰よりも的確に理解している人です。

ボーリングをする時も、家庭用ゲーム機で遊ぶ時も、私を仲間外れにするのではなく一緒にできる方法を考えてくれました。

逆に私が障害に甘えているときにはこれには関係ないだろうと注意をしてくれたんです。おかげで今でも会うと話が絶えない、親友のような存在です。

 

私は大人になって以来、どうすれば家族に恩返しができるだろうと考えています。

初めてのボーナスで母にはカメラを、父にはテレビを買ってあげた時も喜んでくれましたが、 1番の家族孝行は私が幸せに生きることなのかもしれません。

 

先日の初節句、母と父はもちろん子供に興味がなさそうな兄までが沢山の笑顔を見せてくれました。

これを平凡な幸せと呼ぶのなら私にとって平凡は何より光る宝物です。

 

生まれつき背負った理不尽を肯定するような気がするから。

 

中二みたいな理由を盾に私は運命を否定します。けれど今の家族の元へ生まれた事は、妻と娘と出会えた事は、超絶にラッキーだったと心の底から感謝します。

 

スプラッシュ

抱っこ紐に白い杖、弱者と弱者のコンビネーション。

道を譲るが正義です。

しろめ様のお通りです。

 

ということで、我が家のぷくぷくベイビーちゃんは今日も元気に育っています。

可愛い奇声を発しながらつかまり立ちをしています。

子育てに関して、おむつも替えていない私から偉そうなことは言えません。大変なところは妻が引き受けてくれています。

 

視覚障害があるから仕方ないですよ」と思ってくれた皆さん違うんです。

視覚障害に限らず、困難があっても自分の力で子育てをされている方は沢山いらっしゃいます。私が甘えているだけなんです。

ここはとっても重要なので踏まえた上でお付き合いを是非。

 

使えない私に与えられたミッションは、娘とのバスタイム

危険な香りがぷんぷんしますね。

事実当初は、ふにゃふにゃの首と柔らかい肌に緊張しまくりましたが上官もとい妻が任せてくれた事で徐々にスキルアップすることが出来たのです。

 

心掛けていることは主に2つ。

1つめはお礼をしっかり伝えること。

娘は洗顔が苦手ですぐに泣いてしまう為、終わった後には必ず「ありがとう。パパ助かったよ」と声に出して伝える様にしています。感謝を忘れない子に育って欲しいというのが表向きの理由。実際のところはパパを嫌いにならないでねと願いながらお礼を伝えている次第です。

 

2つ目は自分が疲れている時ほど声を出し、楽しく入ること。

子供に向き合っていると嫌でも自分の疲労度が分かります。心身に余裕がない日には、心が尖ってしまうのです。そんな時は歌でしょう。

かれこれ何曲聴かせたことか。もしも娘が歌手になったら、私の歌声が原点ですと自慢して回る予定です。全くの親バカですね。

 

その他の私のミッションは妻が買い物をしている時の抱っこや留守番、遊び相手などなどです。立派に人見知りをするようになった娘を見ていると残業の少ない職場で良かったと心から思います。

もしもあやすことさえ出来なくなったら家庭での居場所が心配ですので。

 

 

 

出来ない10個を嘆くより、出来る1つに力を尽くそう。

注いだ愛情は裏切らない。

向き合うことが大切なんだ。

 

明日も良い事ありますように。

おやすみなさい。

宝物

時刻は午前3時7分、頭はしっかり冴えているのに心が宙に浮かんでいる。そんな不思議な感覚でした。

 

妻の身体はまるで北極にでもいるかの様に、震えています。

男が最も無力を感じる瞬間、そういっても過言ではないでしょう。

 

昨年のある春の日に、娘が外界へやってきました。

 

本音を書くと人格を疑われてしまうかもしまいませんが、子供好きとは言えない私は自分の時間を削ってまで娘に愛情を注げるか実のところ心配でした。

 

それがどうでしょう。

今では立派な親馬鹿です。

 

何て可愛い生き物なんだと日々感動しています。

 

親になると「どういう子に育てたい?」と聞かれることが多くなります。

健康・人柄・知識・能力、希望はいくらでも浮かんできますが強く望むのは1つだけ。自己決定が出来る子に育ってくれれば満足です。

大人になると必ず大きな決断を迫られる日がやってきます。

日頃から他人に選択を委ねていると失敗した時も容易く言い訳が出来てしまい、成長に繋がりません。自分の道は自分で選び、決断に責任を持つこと、その大切さを教えてあげられる親でありたいと思っています。口で言うほど簡単ではありません。私も研鑽をつまないと…

 

小さな手、ぷるぷるほっぺ、浅い呼吸、可愛い笑顔。

妻と私の分身は今日も元気に育っています。

 

これから先、壁にぶつかることだってあるでしょう。

 

娘が私の障害を嫌うかも知れません。辛くなったらこのブログを見て、初心に帰りたいと思います。

 

 

未来のリスクに捕らわれるより、今日の幸せに感謝する。

 

 

可愛い寝顔におやすみなさい。

 

 

 

 

 

よく見えないけど・・

妻と私

唐突ですが、私は妻に愛されています。

赤い糸でぐるぐる巻きです。

 

「私より先に死んだら、呪うからね」

と、10歳年上のオジサンには厳しい難題をぶつけてきます。

 

あれ?呪えるのは死んだ方じゃなかったけ?

いや私の勘違い?だったかな‥・

 

 

妻とは同じ職場で知り合いました。

こと恋愛に関して視覚障害をプラスに考えることが出来ない私は、いいなと思う人が現れても勝負することが出来ずにいました。

更にあろうことか、妻の上司が「しろめさんのことが、気になってるみたいよ」と教えてくれた時でも障害者の自分と健常者の妻、必ず引け目を感じてしまうと詰まらないプライドに捕らわれて距離を置いてしまいました。

 

なんともったいない話でしょうか。

今でも妻に恨み言を言われます。

 

そんなある日。

偶然一緒に残業していた際に私を鈍感野郎だとふんだ妻が、好きな人が近くにいるのに全く気付いてもらえないという話をしてきました。

その【好きな人】が【自分】であることを知っていた私は恥ずかしくて、嬉しくて、ここまで言わせてしまったことが情けなくて、胸が走り出したのを覚えています。

 

こんなに愛してくれる人とは絶対にもう出会えない、妻のお陰で一歩を踏み出すことが出来ました。

 

確かに障害の影響でしてあげられないことは沢山あります。

結婚した今でも、歯がゆい気持ちは変わりません。

ただそれ以上に妻と歩む毎日は幸せに満ちています。

 

例え呪われることがあったとしても・・・

 

皆さんにも大なり小なりコンプレックスがあると思います。

さらけ出して傷つくくらいなら閉ざしてしまった方がマシ、そう考える人がいたとしても私は否定できません。

でも目の前にチャンスが訪れたら、手を差し伸べてくれる人がいたなら、ちっぽけなプライドは捨てるが勝ちです。弱さと向き合う強さを持つこと。

なんとかなります。

人生なんて。

家族

 

「あなたの一番大切なものは何ですか?」

そう問われたら、皆さんは何と答えますか?

 

昔は回答が優等生過ぎてつまらないなんて青い見栄から言い切れずにいましたが、今ははっきり断言できます。

家族

をおいて他にないと。

 

もしも妻がいなくなったら、

もしも娘がいなくなったら、

母が、

父が、

兄がいなくなったら、

 

真面目に想像すればするほど心臓がぎゅっと潰されます。

かけがえのない存在なんです。

 

 

私は小学生の頃から、寮生活をしていました。

通っていた盲学校が県に1校しかなかったからです。家に帰れるのは週末だけ。

そんな環境も手伝い、思春期になっても帰省する日が楽しみでした。

明確な反抗期もなかった様に感じます。

 

成人して就職すると、今度は一人暮らしを始めました。

結果、親元にいる時間は短くなってしまいましたが信頼し尊重してくれた深い愛情に心から感謝しています。

 

もしも手元に置かれていたら、自分の家庭を築く幸せは味わえなかったかもしれません。

 

この頃、流石に年をとってきた親を見ていると少しでも早く自分の家の近くに引っ越してきて欲しいと思う反面・・思い出深い家を離れる決断は簡単ではないのだろうと感じます。

私にとっても陽だまりの様な故郷がなくなることは、寂しいことですしね。

 

 

残念ながら時間は有限。

 

家族と離れている人や、何かに行き詰っている人は一度帰ってみてはいかがでしょうか。

私も今年は3人で実家に帰る機会を増やしたいと思っています。

 

 

妻と娘のお話はまだ後日。

今日のところは、おやすみなさい。